モリオカ三行日記(ブログ)

アクセスカウンタ

zoom RSS 柳田を読む

<<   作成日時 : 2007/09/09 03:22   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 必要があって、柳田国男関連の著作をある程度まとめて読んでいる。恥ずかしながら、こうして勉強をするのはほとんど初めて。実に不勉強なことであるが、ものには巡り合わせということもある、ことにして、とにかく読むのみ。

 大学院後期課程のころ、折口全集を少しかじったことがあるが、その時とはまた全然違う、とにかくどの一文からも才溢れるといった印象。明治・大正の日本文学がこういう伴走者をもっていたことを、もう少し意識すべきかも知れない。
 実務と政治的手腕に優れた人物でもあったことは、その生涯からも、若き日の農政学関連の著書からも如実に知られる。彼の業績についてイデオロギー分析の観点から批判を加える試みは早くから近年まであり(やや古く、また概説的でもあるが、講談社『日本民俗文化大系1 柳田国男』における色川大吉による批判は、重要な幾つかの指摘を含んでいるように思う)、また、彼の営為は実際にイデオロギーまみれでもあるのだが、しかしそういう裁断の前で一歩踏みとどまってみるなら、どのようなことを考えることが可能か。

 というわけで、大変興味深く読み進めて、はいるのだが、やっぱりちょっとイガっと喉に引っかかる部分がないではない。例えば、かの『遠野物語』序文のこういう箇所。

仮令敬虔の意と誠実の態度とに於ては敢て彼を凌ぐこと得と言ふ能はざらんも人の耳を経ること多からず人の口と筆とを倩ひたること甚だ僅かなりし点に於ては彼の淡泊無邪気なる大納言殿却つて来り聴くに値せり。近代の御伽百物語の徒に至りては其志や既にモ且つ決してその談の妄誕に非ざることを誓ひ得ず。窃に以て之と隣を比するを恥とせり。


 柳田三十四才の文章だが、文壇との距離を含めた当時の柳田の立場について考慮するにしても、こういうねじくれた書き方は、私には理解できない。こういうあたり、実際に交流もあった鴎外を想起させなくもない。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
柳田を読む モリオカ三行日記(ブログ)/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる