モリオカ三行日記(ブログ)

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<<   作成日時 : 2009/04/23 02:06   >>

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先のエントリで紹介した本についてnjm氏がコメントをしてくれているので。

たとえば台湾のアタヤル語と日本語のクレオール言語などは、近年の多文化主義の隆盛で原住民のアイデンティティの拠り所とされると同時に、新しく制度化されているのではないか。つまり国家語という制度を離れても、また別の制度がそこに待っていると報告されている。


まったくもってその通りで、物語批判、脱構築といった今や懐かしい批判理論の数々は、この手の終わりなき螺旋階段を相手にしてたんだよなあと。だからロマン主義があんなに批判されたんだよなーと遠い目を。まあこれも世代論に入るわけですが、最近は「どこまでいっても螺旋なんだから逃げなくてイイジャン」とか居直る類のかたが多くてげんなりいたしますねえ。


で、今回の本の構図は、国家アイデンティティを離れた言語という理想に、「原住民語」という制度的な枠がはめ込まれてさあ困ったというような話だと思いますが、これ、やばい話だと承知でもうしあげますれば、そういう「今ここの経験と実感」にどこまで分析の手を伸ばしていいのか、ということだとも思うんですよね。別の分野でいうと、「専業主婦にフェミニズムの声は届くか」とかそういうネタで血で血を洗う激論が交わされた構図だ。あ、ちょっと違うか。まあいい。


で、結局何が言いたいかと申しますと、やっぱりこれ文学研究の問題になり得ますよということなんだよな。多少我田引水ではございますが、それでも、こういうのを一般化して「はい制度ですよね」とだけいっても何ともならないだろなあ、と感じずにはいられない。固有の「今ここ」において紡がれた言説にどれだけ手を伸ばし得るか、そういう試みを少なくとも近代文学研究は50年ほどやってきたわけで。手を伸ばすということは必然的に批評の刃を向けるということでもあるから怖いけども、その怖さをさけて迎合するだけなら理論の意味などなかろう。

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