モリオカ三行日記(ブログ)

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<<   作成日時 : 2005/01/20 02:44   >>

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 勤務先では、今週卒業研究・卒業制作の締め切りを迎える。続々と一年間のゼミの結果が手許に届きつつある。

 元来が同情系の感度があまりよくない(馬齢を重ねるごとにこの症状は進行しつつある…ということは、うちのゼミの学生諸君は無理難題を押しつけられた恨みとともに痛感しているであろう)人間であるが、目の前で必死になっている学生たちをみると、自分の昔もつい思い出したりなどし、ぐっとくるものがなくはない。

 提出されたものを瞥見するならば、こう言ってはなんだが、客観的レベルとして外部(日文コースなら研究論文として、情報コースなら論文あるいは産業の現場企画として)でそのまま通用するレベルのものはきわめて少量、あるいは殆どない。残念なことだが、私は担当教員としてそう評価せざるを得ない。

 しかし、それは卒業研究としての価値を些かも減じるものではない、ということも、是非学生の皆さんには知って頂きたい。

 何も、君たちの殆どが、ここで学んだ分野を一生の職とする人ではない、というのがその理由では「ない」。私の専門とする分野を振り返っても、世の「研究者」が、「自分の卒業論文を公にせよ」、と強いられたならば、七転八倒してとりあえず入るべき穴を掘り出すだろう。どの職に就いたところで、「仕事は現場で覚える」のにちがいはない。学校では、その学習能力の基礎を作ってもらえたならば充分なのである。

 学習能力の基礎、たぶんそれは、「ものを言うのは難しい」ことを知る、ということに尽きている。君たちが結論とした、見ようによってはきわめて単純で青臭いこと、矛盾した形式的理想、独りよがりの狭い知見、しかしそれらはどれほどの曲折や難渋に支えられていることか。おまけにそれらは、いわゆる〈客観的〉に見た場合誤りである可能性を多々含んでいる。何年かすれば撤回したり無視したりしたくてたまらなくなることの方が多いだろう。それでもなお、そのようなアヤシイ結論を君たちが「出した」ということ、そしてその結論に悩まされる、ということから、君たちは限りなく多くのことを学ぶことができる。すくなくとも、「何言われても自説を立て板に水で語ることしかしない」人や、「自分の感想を絶対化して聞く耳を持たない」人たちを基本的に信用しない、という態度は身につけることができる。

 最近、「必要なのは〈教育〉などといういかがわしいものではなくて〈見識〉なのではないか」と書き送って下さった方がある。独特の喩で、ともすれば誤解を招きかねない表現かも知れないが、我々がついに未熟さから解放されないとするならば、身につけるべきなのはそのような〈見識〉しかないのであって、トリビアルな技術や処世術を〈教育〉されて満足することにあまり意味はない。

 というわけで、卒業研究には、「卒業ご祝儀コメント」ではなく、(私が頂いたのとできるだけ同様の)ガチンココメントを付けてお返ししますので、是非楽しんで下さいね。

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コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
その1 上記のコメントを「世の研究者に卒業論文を公にせよ」から「修士論文」に変えても(あるいは「博士論文」に)ほとんど変わらない反応が導き出せるのでは。私も卒業論文なら半分洒落で出せますがあとの2つは出す気になりません。

その2 かつての指導教官に卒業論文はそれなりに評価されましたがその後同等の評価を彼から一度も聞いたことがなく(笑)、ということはその後13年間私は進歩しなかったのでしょうか。それともあれは入学御祝儀コメントだったのか。
yanase
2005/01/22 00:40
漏れには〈見識〉がないよ〜!
ヽ(`Д´)ノァァァァァァン!
ロニー
2005/01/24 16:10
わはは、常にその〈現場〉にふさわしい研究と教育をしてこられた方がなにをまた。
ところで、yanaseさん、エキサイトマッチのVTRは、ご実家の方にお送りさせていただければよいので?

morioka
2005/01/24 20:42
ありがとうございます。実家で結構です(いま実家にいますので)。
昨日の600回記念、チキータVSカルバハルT、タイソンーホリフィールドTでしたが、ご覧になりましたか。(香川照之が14年前から変わらない=電波野郎ということがわかりました)

昔浅田彰が「もっともデジタルなのは人間の指だ」と言ったことがありますが
(グレン・グルードに触れてだったと思いますが)、アナログに見える<見識>と言うのはどんな世界の工学化にも負けない<デジタル>なものなのではと思います。
yanase
2005/01/24 22:35
私の場合 
その1 「卒業ご祝儀コメント」と「ガチンココメント」の狭間で悩んだ挙句、前者を長所、後者を短所として、2本立ての講評をおこなうことにしました。ええかっこしぃかな。

その2 かつての卒論指導教官からゼミを通じて学んだのは、理論と現状分析(問題意識に基づく事例研究、作品研究)の双方を重んじること、思想的な文献と同時に統計や公文書を踏まえること、誤字脱字は絶対に避けること(判明した時点で読んでもらえないことがある!)、などでした。これらは、「トリビアルな技術や処世術」かもしれない。でも、実践するのはなかなか難しいことだし、意外とどこでも通用することだという気がするので、伝承しています。「見識」に結びつくかはわからないけれど。

でも、「見識」なんて云われると、頭かかえちゃうな・・・。
「信念」じゃダメかなぁ。

新米教員
2005/01/25 02:32
「見識ございますし判定もできましてよ」などという人間では毛頭ございませんし、むしろ不見識の極みの振る舞い多々累々です。そして、確かに「見識」というブッキッシュな用語は、とらえどころのない消失点みたいな感じもありますよね。こういう消失点を謂わば統制概念的に利用して全てをかわすならそれこそsleeping professorでしかないですよね。
 しかし、「理論と分析を双方とも重んじる」というのは、「おおこれこそ見識なのでは!」と私など飛びつき修行したくなるような態度なんですが。こういう言葉を実感こめて言える人はすごいと思います。

卒論コメント、現役学生も多々見ているこのブログで告白するのもなんですが、要するに不見識な私の教授にとどまられるのが怖いから、ひたすらガチで疑問を投げかけようとするのかもしれません。けど、ほめられたら嬉しいだろうな…。「時間内に伝えられることはなんとか伝えたつもりなので、あとは自分でやってね…」ある意味責任放棄ですかねぇ…。
morioka
2005/01/25 19:57
いや、その、時期的にも内容的にも、共有・共感するところが大きかったので、思わずでしゃばりまして・・・・。「ものを言うのは難しい」ことを知るのが基本だってのは、ホント同感です。「反面教師」だけはいっぱい抱えているところも少し似ているような気がします。

「その2」はいささかかっこつけた書き方をしましたが、あまりにも問題意識ばかりが先走っていたために「もう少し理論もやりなさい」と叱られ、偏った文献ばかり使っていたので「公文書も見なさい」と呆れられ、おまけに誤字で苦笑されて、というのが実際です。とほほ。しかし、それにしても「卒論」とか「ゼミ」ってのは、本当にいい機会だった。先生も怖かったが、同級生も怖かった。ああいう場をつくってくれた先生に感謝しているので、自分もつくりたいのですが、そうはイカの○○よ。
tsuchiya
2005/01/26 01:16

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